【路線データ】
- 事業者:JR西日本
- 路線名:寝台急行銀河号
- 車両型:EF65 + 24系25型
- 路線型:急行列車
- 乗車日:平成20年1月2日
- 乗車区間:大阪~東京
【乗車記】
10番ホームに上がると、機関車が停車するあたりには「同業者」が多数待機してました。と言いますか、少し前までは北陸線ホームに入ってた「銀河」は大阪駅の改良工事で何やら仮設ホームみたいな場所に入線することになったようで・・・
出発8分前くらいになって入線。別にその前に列車がホームを占領していた訳でもないのですが、あわただしい出発となった格好に。僕を含めた「同業者」のテンションは最高潮に・・・皆先頭の機関車やロゴマーク、テールサインなどを激写しており僕は思わず圧倒されそうになりました。
大きなショックなく動き出し、はずむ息を整えながらもゆっくり流れる夜景を見て「客車列車の旅」の始まりの雰囲気をかみしめ指定された寝台へ。
8号車は東京方にあって移動にも時間を要し、着いた頃には新大阪が近かったりして・・・先客がいて僕の指定された寝台区画はすでにカーテンを引いているところもあった。なんともったいない・・・と思うのは僕のようなマニアだけでしょうね。
車掌さんからのアナウンスで停車駅や車内案内があってその中で
「今日はA寝台、B寝台ともに満席です・・・」
という言葉が何となく誇らしげでした。毎日こうだったら廃止なんて憂き目も・・・と思ったりもしたのだが、今や東名阪間の移動選択肢は「銀河」に有利な面は少なく、格安の高速バスや2時間半で行ってしまう新幹線の台頭で「出番」を失っているのが現状でしょう。
撮り鉄のメッカ、山崎を過ぎてほどなく市街地に入ると京都着。もうすぐ23時だというのに車内はなんとなくザワついているのは、純粋な一般利用者は半分、残りは「記念乗車」っぽい「同業者」が鉄道談義に花咲かしている、という事も作用しているように思いました。
トンネルを何本か過ぎ大津着。カタッ、カタッ・・・とリズム感のある音に聞きほれていたらいつのまにか複々線から複線区間に入っていました。
大阪駅で仕入れた「吉野」の大阪寿司で夜食を楽しんで、ふと外を見るといつしかバラストは真っ白で構内に光るレールのすき間というすき間は皆真っ白に染まっており、ほどなく米原に到着しました。JR西日本からJR東海の運転士に交替したと思われますが、ドアから流れる冷たい風にそんな「交替劇」を見に行こうという気は削がれ・・・
寝台列車でベッドメーキングって何年ぶりだろう・・・昔は「列車掛」というボーイさんが丁寧に各寝台を回って寝台をセットしていった、という話を聞いたことがありますがセルフとなった今でも、こういう行為に思わずロマンを感じてしまいます。
米原発車後に寝台にもぐり込んでみました。寝る寝れないは別にして横になりながらレールのジョイント音を聞くのもなかなかオツなもので、聞きほれているうちにウツラウツラ・・・停車のショックで目が冷めたら名古屋に停車していました。
まだまだ宵の口のような明るい街で、まだ21時くらいのような雰囲気に思えました。しかし「銀河号」の停まっているホームの人影は数人の客と駅員さんだけで、まさに「深夜」の様相・・・長めの停車だったので列車全景の撮影に挑戦。肌刺す冷たい風に耐えつつカメラを向けて・・・まあ出来は皆さんが判断して下さい(笑)
ちなみにまもなく1時になろうとするこの名古屋からも2人が乗車。
熱田あたりまでは起きていましたが、あとはぐっすり・・・実際意識のあったのは沼津あたりからだが、何かの拍子で目が覚めると必ず何らかの衝撃が・・・。それもかなりの発車時のショックで。
国鉄末期には経験の浅い若手の乗務員が特急の運転をするため、引き出しの微妙な操作が難しく、衝撃の多い列車ばかりになったという話を聞いたが、なんとなくその話を彷彿とさせるような乗り心地に思えました。実際、乗り鉄スレ(当時の2ch)で僕の後を走る「富士・はやぶさ号」に乗ってた人間も、JR東海区間の衝撃の多さに閉口していた書き込みをしており、会社、所属運転所によって技量に差が出てきているという事なのでしょうか・・・
カンペキに目が覚めたのは熱海到着時。ここからの引き出しはかなりスムーズで、電車に乗っているのかと思うくらいに「静粛」でした。携帯の電池がかなりヤバい状況になってきましたので、洗面所のコンセントで「緊急充電」。昔はシェーバーをここに挿して使っていたビジネスマンが多数居たであろうこの洗面所も、今や携帯の充電場所・・・
小田原を過ぎると、それまで比較的まったりと走ってきたのが加速をつけ出して猛然と走り出しました。後続の快速電車に追いつかれないが為の「全速力」なのかもしれません。
大船、横浜と過ぎ東の空が白じんできてブルートレインで迎える朝、というシチュエーションはいいものであることを実感しました。多摩川を渡って東京入りを果たし、蒲田で京浜東北線のC電を颯爽と追い抜き・・・
品川を出るといよいよ最後の行程。8時間を車中で過ごしてきた訳ですが、今回はとても短く感じました。終焉の近いブルトレという特殊な要因が大きく作用しているのでしょうけど、理屈抜きに「もっと乗っていたい」と思う列車に出会えたってのは鉄道マニアとしてはこの上ない喜びです。
終点・東京に着いて、即座に機関車が切り離されました。
終点の余韻に浸る間もなく、僕ら「同業者」は記録撮影に余念がありません。機関車は一旦神田方に引き上げて、隣の線を回送。構内外れで再び「銀河号」の電源車と連結されました。そして有楽町方へ引き上げていく姿を捉えるまで、「銀河号」が到着したホームは賑わっていました。
これだけのファンに囲まれ列車としては本望かもしれませんが、終焉を迎えるという僕らにしては受け入れがたい事実を知っている者には、なんとなく切ない気持ちが後に残りました。
(令和元年5月15日記事構成変更)