という訳で最終日。
4時半ちょっと前に目を覚まし、充電アダプタを集めて荷造りしてホテルを出発。こういう生活も今日で終わり・・・って結構楽しんでましたが、ここまで寝過ごさずに来れたのが何より。なんとなくどんよりとした空が気になる。
改札で青春18きっぷに今日のスタンプを貰いホームに行くと、昨日と同じ115系がすでに待機していた。違うのは昨日はスカイブルーだったのが今日は若草色。どちらも「新潟色」と称されているのでややこしい。
5時18分に長岡へ向けて出発。
上沼垂の車庫横を勢いよく通り抜ける。特急型車両やら通勤電車がまだ休んでいる。どんよりだった空も少し明るくなりパステルカラーに変化。越後石山、亀田、新津・・・くらいまでは覚えていたが思わず爆睡。目が覚めたら北長岡・・・って行程のほとんど寝てたやんっ!新潟出発直後には空きのあったボックス席も目が覚めたら立ち客がちらほら出るまでに。
まだ覚醒しきってない状態で長岡に到着し、隣で待っていた水上行きにフラフラと乗り換え。ほとんど同じ顔ぶれで発車した。この接続も5分と絶妙。直江津行きなら12分とやや余裕があるものの、1ヶ月ほど前にあった新潟中越沖地震の影響で列車のダイヤが読めない状態(途中から代替バス)なので、やむなく上越回りをチョイス。人が見れば僕の旅行なんて不要不急の最たるものだし、そんな僕が被災地を通るのも憚るところがあるし・・・それと柏崎を回っても結局同じ列車に直江津から乗る事になるのでそれならば・・・という感じだ。
越後滝谷あたりまでは長岡の郊外といった風景だったのが、魚野川が近づいてきたあたりから山間の険しい車窓と田園地帯とが交錯する慌しい車窓になった。
一方車内の混み具合は、出勤するサラリーマンやら朝練に向かう学生が立ってるものの朝のラッシュという感じではない。やはりお盆休みの最中だからかも知れない。小出で入れ替わった。
やがて山が離れ米どころを象徴すべく田園地帯が車窓を飾り、なんとなく豊な気分になる。小出や浦佐のような拠点駅は勿論だが、北堀之内や八色といった小さな無人駅にも除雪機があるのがいかにも雪国らしいアイテムだ。
7時半に六日町着。
ここで水上行きを乗り捨てこれまた初乗車となる北越急行線の乗り場へ向かう。JR駅と同じ跨線橋を渡って一番外れにあるホームに行くと、赤い電車がぽつんと停まっていた。よく鉄道の地方線で見かけるレールバスにパンタグラフをつけたような角張った簡素な電車だ。車内は通勤客や学生で半分ほど埋まっており急いで窓際をキープする。7時40分に六日町を出発。
長岡方面に向かって走り、上越線と分かれると一気に加速。シートに体が軽く押し付けられるような気がしないでもない、心地よい加速だ。阪神電車の各停列車に使われる高加減速車のようだ(ジェットカー)。かぶりつきの席はすでに先客がいるので、デッキに出て前方を眺める。ライトに照らされた白い気体がぶつかってくる。昨日の北上線でも同じものを見たが自然現象とわかっていても何となく気味が悪い。まだトンネル内なのに減速し停車。美佐島というトンネル駅だ。
降りてホームを撮影するが肌を冷たい空気が刺してくる。こんなホームで高速で通過する特急に出会った日には生きた心地はしないかも・・・真っ直ぐに山を抜けたような感じで十日町着。JR飯山線との接続駅だ。
「対向の列車が遅れております・・・」
これ幸いとばかりに電車を降りてホームを散策。通勤客らしき人がいるがそんなに多くはない。島式ホームになっていて上下線のすれ違いが出来る以外に外側に通過線がある。なんか新幹線っぽい駅だ。時刻表を見てないので遅れてるかどうかはわからないけど、上り六日町行きがやってきてほどなく発車。すぐにトンネルに入った。
「まつだい」という駅でまたも対向の遅れから長めの停車。ジリジリと照りつけるが風が通るとさわやかな山間の駅だ。新潟で曇ってた空も今はすっかりピーカンだ。
その遅れた列車は金沢からの特急「はくたか号」でJR西日本の681系。大阪では飽きるほど見れるこの電車も、新潟のこんな山奥で見ると新鮮なものに見えた。虫川大杉でようやく山間部を過ぎ久々に平野部を快走。
全線高架なので気持ちがいいが、かなり簡易な構造で足元が丸見えっぽい橋脚はちょっと異様。雪国で除雪の手間を極力避けた結果こういう構造になったのだろう。犀潟手前で信越本線と合流。出発直後に運転士さんがATSを切り替えた。
「ジリリリリリン、キンコンキンコン・・・」
運転室にJR列車でお馴染みのベルが響く。ほくほく線はATS-P型、JR線内はS型になるためだ。JR線に入ってもその足は衰えず黒井を一瞬の間に通過(ほくほく線の普通列車はすべて通過)。直江津には9時10分と約10分遅れで到着した。
ここでようやく朝食の駅弁にありついた。というか駅弁を朝食にするのは今回の行程でこれが最初で最後かも(2日目は黒磯で駅そば、3日目は宮古のコンビニでおにぎり)
ここまでさんざ乗ってきたJR東日本とは別れて、地元・JR西日本エリアに突入。その最初が高岡行き419系、いわゆる「食パン電車」だ。
寝台の面影残る座席に座った頃は出発30分前で車内はガランとしていたが、あちこち撮りまくって席へ戻ると各ボックスがさらりと埋まっていた。家族連れが多く帰省の合間に遠出、といった感じだろうか。
発車してすぐにトンネルへ。出た直後の車窓は・・・・日本海!これを見た家族連れの子供が大はしゃぎで写真を撮れと親にせがむ一幕も。大人の一団もしばし見とれたてようで車内は賑やかだった。残念なのはこの先結構トンネルが続いた事で、子供らもつまらなさそうな顔をしていたが、その子供たちが一瞬輝かせたトコロがトンネル駅で有名な筒石到着時。
こんなところになぜ駅が?って表情が結構面白かった。そういや車でこの駅に来てホームに立った事はあるけど、列車に乗ってこの駅を眺めた事はなかったから、僕としてもこれは新鮮な体験だった。ローカル駅ながらトンネルの中という立地条件が話題になってトクしてるな、って感じですか。これが地上にあったらただのローカル駅でしかないし注目される事もないだろうけど。
能生でトンネル群とは別れ、梶屋敷を出たところで交直「デッドセクション」を通過。お約束のようにあちこちから「停電?」って声が聞こえた。最近の高性能な電車だとここを通過しても電灯が消えることはないから、却ってこういうシーンが貴重になっている。糸魚川で長めに停車。乗り合わせていた「同業者」が大糸線ホームへ走り出す。何事か、と思いきやキハ52の即席「撮影会」が開かれていたのだった。朱色一色に塗りたくられたものは今となっては珍しいものらしい。昨日さんざ乗ってきた身には少し食傷気味だったが、少し離れて停まっていたクリームに紺色のキハ52に目が止まり撮影。大糸線も岩泉線同様にこういう国鉄型気動車がある事に驚いた。
糸魚川を出ると親不知の発車までは覚えていたけど、あえなくしばし「お昼寝タイム」・・・起きたらもう富山県で黒部を発車したトコロだった。車内はいつのまにか立ち客が出ており、魚津、滑川・水橋と進むにつれラッシュの様相を呈してきた。富山の都市圏ラッシュも侮れない。
富山には11時46分着。一気に車内は閑散となりここが一つの乗車人員の「ヤマ」であることを実感する。時間的に昼飯だけどガマン、ガマン・・・ちなみにこの駅到着の時点で北陸本線は踏破完了。
特急を見送って、こちらものっそりと富山を発車。発車直前には立ち客が出るまでになったが、次の呉羽で立ち客は解消。小杉発車直後にはボックスにも余裕が出てきた。終点の高岡に着くとホームは人の山だらけ。もう帰省のUターンが始まったのかもしれない。駅を出て併設の立山そばで軽くそばをすすり速攻で駅弁を購入。
そして向かった先は氷見線ホーム。氷見線自体は去年のGWに乗ってるものの雨晴から先がなぜか未乗になっており今回は「落ち穂拾い」という感じで乗り潰す事にした次第。車内はボックスの大半が埋まっており、その客の大半がなぜか中国人。氷見線って外国人に人気があるのかな~とか考えながら駅弁で昼飯。
12時45分に発車。軒下すれすれを走りぬけるあたりはなんとなく江ノ電を彷彿とさせる。伏木で件の中国人団体が下車する。船員さんなのか?貨物ヤードと分かれて越中国分を出ると、ぽーんと富山湾が眼前に広がる。
海岸線に極めて近いので海の上を走っているようでもある。海水浴場が続いて雨晴。そして間に島尾という駅を挟んで終点・氷見着。たかだか数キロの乗り潰しのために2度も通うハメになろうとは・・・鉄ヲタの悲しい性を感じつつ、そのまま折り返しの列車に乗車。今度は一方的に乗車ばかりの車内となり能町を出る頃にはちょっとしたラッシュの様相だ。
あとはもう帰るだけだが、このまますんなり帰るのもなんとなくつまらない。時刻表をめくった結果2駅ほど駅を堪能できそうなのが解ったので「ワープ」すべく金沢~福井間の乗車券と自由席特急券を高岡でゲット。
とりあえずはその金沢に向かうためやってきた電車に乗車。時刻表めくりと居眠りを繰り返して気がついたら東金沢の車庫の横を走っていた。
金沢から乗ったのは臨時特急の「しらさぎ98号」米原行き。
683系使用でなかなかグレードの高い移動が出来そう。しかも臨時とあって皆敬遠してるのか自由席でもガラガラ。出発直後から座席を倒したりして思いっきりくつろぐ。寝過ごさないよう目覚ましを合わせて爆睡・・・
福井まで約47分。普通ならば1時間半近くかかる区間だからやはり「ワープ」の威力は抜群だ。「しらさぎ98号」を降りると隣に敦賀行きが発車を待っていた。車両は521系で初乗車だった。
車内は・・・ラッシュさながらの様相で出発間際とあって立錐の余地がまるでない。かろうじて運転室後ろ付近に陣取り福井を発車。
越前花堂、大土呂・・・と停まるが降車はほとんどなく立ち客の表情にも諦めとウンザリさが読める。武生、鯖江は降車こそまとまった数があったものの、乗車もそれに近いものがあったので混み具合は変わらず。2両というのはいかにも短い。南今庄で撮り鉄を発見。寂しい駅だが障害物がほとんどないので鉄ヲタには格好の穴場駅だ。
北陸トンネルを抜けて敦賀着。どっと降りた客の向かう先は、やはり521系2両!
ほぼ同じ顔ぶれのまま敦賀を16時51分に発車。いよいよ近畿圏に近づく。敦賀ループを抜け・・・と言うかこのループ線だけは今自分がどの辺を走ってるのか未だに解らない・・・新疋田に着きここで下車。次の列車までつぶさに観察としゃれ込む。
交流電化の頃はたまに撮りに来てた駅だけど、直流電化になってからは初めて。
と言っても変化したのは駅舎だけで配線等は交流電化時代のまま。それまで無味無臭のコンクリ駅舎だったのが直流電化を機にリニューアルしログハウス風の駅舎に衣替えした。待合スペースには「撮り鉄」の自信作を展示するコーナーがあったりと「同業者」を意識したものもあってなかなかユニーク。
交流電化時代は時々思い出したかのようにしかやってこない電車も、直流電化になってからは時間帯によっては1時間に2本という設定になっており、JR西日本が提唱する「アーバンネットワーク」の恩恵をこんな山間の駅でも受ける事が可能になった。
ただ電車の本数は増えたが景色は相変わらず山深いままで、今のところ人家が増えそうな気配は無い。これから駅付近がどのように変わるかが注目される。丁度敦賀行き新快速(実質普通列車)が到着したものの降りた客は4人・・・
40分ほど待って後続の京都行き(湖西線経由)に乗車。今度は4両編成の223系である。なんか久しぶりに新快速型の電車に乗れてなんとなく感動した。何本かトンネルを抜けて近江塩津で下車。ここも直流電化で若干配線が改造されたそうだが駅そのものに手は加えておらず交流電化時代と同じようにひっそりと佇んでいた。
北陸本線と湖西線を分ける一大ジャンクションだが特急列車はすべて通過。来る列車は普通ばかりのせいか、ホームに人影はなく、列車到着・発車時に少し増える程度で列車がいない時は秘境駅ではないかと思うくらいひっそりしている。
直流電化を機にこの駅にも「アーバンネットワーク」に導入されているICカードの読取機が設置されるようになって少し近代化された。が、晴れて「アーバンネットワーク」の天辺に位置するようになったとは言え一朝一夕で雰囲気までは変わらない。それがまた趣味的にはいいのだが・・・
ホームをウロウロして色んな角度から写真を撮って、次の列車の出発数分前に所定の位置に戻ると汗だくだった。冬ならば極寒のこの地も今はかなり蒸し暑い。やってきたのは近江塩津行きの521系。今日はこれで3本目の新車に乗れた。これってラッキーなのかな・・・?発車するとかつての「デッドセクション」跡を通過。永原、マキノ、近江中庄と過ぎ終点の近江今津着。ここからは完全に消化行程で京都行き普通列車に乗り換え。
発車後すぐに寝る体制に入ってうつらうつら・・・としてたものの、やっぱりこういう放送を聞くとじっとしていられない。
「特急の通過待ちをします。発車までしばらくお待ち下さい・・・」
場所は雄琴駅。カメラを構えていざ勝負!・・・負けました。流し撮りってやっぱ場数踏まないとビビッて手が震えてしまう。それまで寝ていた男がやにわにカメラ持って起きてホームで怪しげな事をしてるものだから、帰ってきた時の周りの客の視線が痛い・・・痛すぎる。
山科で一旦下車し、改札横のそば屋で軽く夕食。ここから乗ったのは20時過ぎの姫路方面行き新快速。先ほどの電車で京都まで行ってそれから乗り継ぐ手もあったが、京都から着席できるかどうかが微妙なため、一駅前で確保した次第。これが「旅の知恵」ってヤツだが無意識にそういう思考をしてしまうって、これも鉄ヲタの悲しい性だなぁ・・・
寝るつもりで着席したが結局寝れずにそのまま大阪まで行ってしまい、乗り換え駅である尼崎で下車。残すことあと1本。20時57分の東西線経由の快速宝塚行きに乗車。難なく着席できあっという間に出発駅である川西池田に到着。旅の余韻とかを味わう間もなく終わった・・・時刻は21時過ぎ。
~総括~
「初」東北と書いたものの、実は高校生の時に八戸まで行っており厳密には2回目の「鉄」移動による東北旅行って事なんですが今のように乗り潰しを意識した訳ではなく、しかも特急であっさり着いたので今回のような「濃い」旅行を当時はしなかった為、あえて今回のこの旅行を「初」東北とした。
今まで九州や四国は何回も行ったけど、東北の鉄道も先の2箇所に勝るとも劣らず。かなり(・∀・)イイ!!感じだった。岩泉線や北上線といったローカル線の風情はもちろん、電車ばかりの東北線も北上するにつれ同じような田園風景だったのが福島と岩手ではよく見れば違っており、なかなか捨てたものではなかった。
自分の住んでいる場所がどちらかといえば西日本なのでどうしても西日本の鉄道を中心に乗ってしまうけど、こうして普段触れる事の無い東北の鉄道にその片鱗だけでも触れれた事に大きな収穫があったように感じた。
次はいつ東北に行けるか解らないけど、機会があればもっと深い乗り鉄を試してみたいと思った。
(2007年8月15日)