JR東日本 はくたか566号

北陸新幹線が敦賀まで延伸されました。在来特急の運行区間が短縮されたり、かろうじて「北陸」を走ってきた北陸本線が敦賀以北で第三セクターに「経営転換」されたりと、それなりにネガティブな出来事が発生していますが、個人的には新しい「鉄道」に対しては「門出」を祝いたいところです。

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「サンダーバード9号」を降りたあと、新駅の越前たけふ駅まで往復したり敦賀の土産物を眺めていたり・・・と余裕をぶっこいてたら、乗車する「はくたか566号」が停まっているホーム到着が発車2分前・・・いや、危なかったです。

12時58分、定刻に発車。

「はくたか566号」はE7系、つまりJR東日本所属の新幹線電車です。JR東日本の列車は金沢開通時点で頻繁にやっては来ていましたが、より関西に近い敦賀にやってきたのは在来線の寝台特急「日本海号」(青森車両センター所属)以来じゃないでしょうか。

そう思うと「東京まで行かなきゃ見れなかったJR東日本の電車」が、割と関西に近い場所で気軽に見れたり乗れたり出来るかと思うと、(鉄道マニア的には)これはちょっとしたカルチャーショックに思えたりします。
敦賀発車時点では結構ガラガラで、長閑な空間が広がっていましたが13時18分の 福井に着いた途端に、僕の座ってた3列席の通路側がいきなり埋まり焦って辺りを見回すと、窓側は結構埋まっていました。本格的に埋まるのは金沢からかな・・・と勝手な予想をしていただけに、これは意外でした。
ちなみに敦賀から乗った客の一部がここ福井で降りており、指定席と言えどこういう使われ方もされてるんだなと、これまた意外な思いをしました。

敦賀で買った天ぷらを肴に地酒を堪能していたら、さりげなく車内販売のワゴンが・・・通るハズがないと思い込んでいただけに目を丸くしてしまい、さっきから驚きの連続です。どうやら「かがやき」だけでなく、東京直通便であれば「はくたか」にも乗られているとの事。

芦原温泉を出て、大小いくつものトンネルを抜けて石川県へ。

35分。加賀温泉着。さっきからよく停まるな・・・と思ったら上越妙高まで各駅停車で、その先は長野・高崎・大宮・上野という感じで停車。速達型の「かがやき」(福井・金沢・富山・長野・大宮・上野)に比べると、停車駅だけは「区間快速」のような風情を感じさせます。

続いて小松にも停まり、ほどなく地酒の名前にもなった手取川を渡ります。日本海が近いこともあってか、どの河川も河原が広く特徴的です。
福井以来、各駅でパラパラ程度だった乗り具合が、ドカッと増えたのが14時前に着いた金沢。ここでB席を残しほぼすべての席が埋まった格好で、先行開業区間の需要の旺盛さを見せつけてくれます。

ここからは何度か乗り通した区間ですが、

能越道がこんな近くを走ってたのかと、新鮮な発見は尽きません。

新高岡を出て、

神通川とその向こうに見える都市で富山にやってきた事を実感。

14時21分、富山着。

大阪からの「サンダーバード」がかつてここまで直通していた事を知っている身としては、敦賀乗換はややネガティブな材料かな・・・と思いましたが、そここでの降車のまとまり具合を見ていると新幹線開通は在来線からの転移にそれなりに「威力」を発揮しているのかな、と思いました。
富山を出たあたりから、地酒が効いてきたのか居眠り・・・で、目覚めると

糸魚川を出たところで、街向こうに日本海を見ていいところで目覚めたとトクした気分に・・・すぐにトンネル連続区間に入り内陸へ。

15時過ぎ、上越妙高に停車。ここからJR東日本エリアへ。

よく見ると見送りの団体がいくつか見られ、列車に向かってずっと手を振っている人がチラホラ・・・何となく在来線特急の見送り出迎え風景まで新幹線にやってきたようで、どこまでもドライな東海道・山陽新幹線と対照的に「おらが町の新幹線」といったほのぼのとした雰囲気がありました。

ここから快速運転に入り、次の飯山は知らないうちに通過・・・

ところでデッキ上の電光掲示板の案内内容が、ここまで「北陸新幹線eチケット」「WESTER」といったJR西日本のものを紹介していましたが、上越妙高を過ぎた途端に「旅する北信濃」「大人の休日倶楽部」といったJR東日本の旅行商品内容に変わり、会社間を跨いだことを実感します。

いつの間にかリンゴ畑の中を走っており、北長野駅のヤードに留置されている首都圏で使用されていた電車の廃車群を見ながら、


20分、長野着。
ここでの降車はまとまってあったが、乗車はあまりなくこれは金沢開通の頃から余り変わってないような気がします。北陸各都市~長野という流動が割とあるというのにも驚きです。
そしてJR西日本からJR東日本へ乗務員(運転士・車掌)さんと交替。

発車してまもなく車掌さんが案内をしていましたが、JR西日本エリアでは途中停車駅、時刻案内は「JRおでかけネット」や「WESTER」へ「丸投げ」に近い状態での案内しかしませんが、JR東日本エリアでは国鉄時代よろしく乗換案内を含め全部読み上げで、こういう違いが同じ線路を走る新幹線で存在するというのは、どちらが良い悪いではなく「興味深い事象」だなと純粋に感じ入りました。

上田付近で車内販売からジュースを交通系IC(モバイルICOCA)で購入。車販からモノを買うのが新鮮な事に思える時代になった事に、これまたギャップを感じます。

佐久平で浅間山を拝み、軽井沢手前で信越線から転換されたしなの鉄道線を走る「ろくもん」とランデブー。

妙義山の麓をトンネルを抜けて長野県から群馬県に入ったハズですが、ひたすら山の中なので実感はなく安中榛名を過ぎて、

景色の開けた上越新幹線との合流地点付近で、ようやく北関東にやってきた事を実感します。
16時1分、高崎着。
なんとここから指定席に乗る客があって、福井県内だけの利用に続いてこれまた驚きました。や、ネット予約が出来る今だからこそ、短区間の指定席利用という需要が掘り起こされているのかも知れません。

乾いた風な北関東の平野を見ながら、本庄早稲田・熊谷と過ぎて、

22分、今度は東北新幹線と合流。
広大な鉄道博物館を見ながら、複々線のまま大宮着。

かなりの客が降りていき、乗車もわずかにはあったものの車内は福井以来のガラガラに・・・ちなみに僕の座っていた3列席のC席の客も、福井から乗ってきてここで降りていきました。確実に関東~北陸の利用者が根付いているようです。

ここからはそれほど飛ばすでもなく、並行する埼京線とランデブーしながら流すように走り、

荒川を渡り、ほどなく地下へもぐって16時45分、上野着。

さらに降車があって、乗っていた車両には両手で少し余るくらいにまで減って・・・

「まもなく終着、東京です・・・」

自動放送のアナウンスを聞きながらホームに滑り込んで52分、終点の東京に到着。

僕の乗っていた車両はパラパラしか降りていきませんでしたが、他の車両からは結構な数の客が降りており、皆が皆北陸から来た訳ではないと思われますが、それでも北陸新幹線全体で、これだけどっとホームが賑わうというのは交通機関として「本懐」を遂げている「慶祝すべき事」ではないでしょうか。

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東京~敦賀、575.6km。東海道新幹線だと新大阪と新神戸の間くらいに相当する距離で金沢開業時よりもより「新幹線らしい」路線になったような気がします。

本来は敦賀の先にある小浜・京都・松井山手を経て新大阪に至るのが北陸新幹線の「本来の姿」と言われていますが、そこへの到達は意見の集約が未だ果たせておらず「敦賀止まり」が長引きそうな気配が漂っています。

東海道の2時間半に比べ、北陸では速達便の「かがやき」から「サンダーバード」を乗り継いでも5時間なので、東阪間の比較対象としては到底あり得ないのが実情ですが、北陸エリアを軸に東京・大阪方面への「アシ」として考えた場合、対大阪で在来線乗り継ぎというネックはあるものの、現行の敦賀延伸で所要時間だけで見ると「有能な手段」となり得たのではないか、と今回の乗車で実感を得ています。

願わくば「大人の事情」で計画を徒に長引かせず、新大阪までの全通を早期に果たし、対大阪でも新幹線が持つ「速達性」を全面に打ち出した交通体系を構築してほしいところです。

【令和6年4月20日乗車】

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