まだ東北ではありません。どっちかというと関東北部といったトコロか。
駅近くのビジネスホテルを出たのが4時50分。フロントもまだ真っ暗。料金は払ってあるのでこっそり出て行き高崎駅へ。空はもうすっかり明るく、ひっそりとした駅への通りがなんとなく光っているような気がする。
両毛線の始発電車に乗る。107系という色使いがパステル調の、これまで見てきた電車と比較できないほど新鮮さを感じた電車だ。ちなみにこの始発電車、唯一東北本線の黒磯まで乗り入れる列車で、後は小山や桐生折り返しばかり。言わば今回僕がこうして東北へ乗り鉄をするために誂えてくれたような列車だ。まあそれは妄想として手元にある1985年の時刻表でもこの初電が黒磯行きってのはある訳で伝統的なものかも知れない。
上り「あけぼの号」や首都圏中電の入線風景を撮ってから乗車。5時25分、いよいよ東北へ向けての助走区間となる両毛線に向かって発車した。新前橋で上越線と分かれ田園風景の広がる中を快走。そろそろ朝日が上がる頃でもあったようで窓から強く差す光に目が細くなる。
・・・というのは口実で、実際前橋を過ぎたあたりから眠く、伊勢崎発車直後あたりから桐生到着まで「落ちた」状態にあった。桐生でわたらせ渓谷鉄道のディーゼルカーが見れたりしてちょっとばかりテンションが上がったもののそれも足利くらいまでで、そこから先は小山停車中までまだ「落ちた」www。早起きは基本的に苦手なんだよなぁ・・それでも趣味の事となるとこんな無茶な時間の早起きが可能なんだから・・・恐るべし鉄パワー!
高崎発車直後は3人とガラガラの車内が桐生までに学生や会社勤めでそこそこ埋まり、桐生で一気にガラガラ。でまたポツポツと乗ってきて小山で目が覚めて見たときには立ち客こそいなかったものの、ロングシートがぎっしり埋まってた。北部とは言えやはり関東圏の通勤時間帯はすさまじい。
小山からは東北本線を北上。通勤客に混じって首都圏からのリゾート風の客もチラホラ。隣にいた家族連れ2組は南船橋から那須塩原までの精算を車掌さんに依頼してたし、大学生くらいのグループも塩原高原のガイドみたいな本を手にしており、多分普段の通勤風景とはどこか異なる空気が漂っているのだろう。宇都宮を過ぎるとちょっとシートにも余裕が出てきたが今度はこれから行楽に行こうという感じの客ばかりになり静かだった車内もちょっと騒がしく・・・
黒磯には8時56分着。
3時間半の乗車時間は1本の列車にしては何気に「長い」。「喜多」というそば屋でようやく朝食となった。駅弁を買おうと小山のバカ停中にコンコースを上がって見回したがそういうコーナーは皆無で、結局ここまでメシなしという状況だった訳。
ここからいよいよ東北。黒磯駅構内でも少し離れたあたりに郡山・福島方面行き専用ホームがあって6両の701系電車が停まっていた。ここまで乗ってきた電車は直流で、ここから北は基本的に交流区間となるので、交流専用、直流専用のホームを設けている。ちなみに機関車牽引の貨物列車は駅はずれにあるデッドセクションを走行しながら切り替える。
これから乗る郡山行きをカメラに収めていると、俄かに多くなった乗換え客が列車に殺到した。こりゃいかんと思いすすかさず席ゲット。数分と経たないうちに立ち客が出るまで乗り込んで来た。基本2両が東北の電車だがこういう時期にあっては増結が必要で、季節波動を見越したなかなか賢明な判断だと思った。
9時39分に発車。車内は相変わらずの通勤ラッシュもとい帰省ラッシュ?高久、黒田原と進むにつれ空くだろう・・・と判断したが、意外や人の動きはまったくない。結局そのまま福島県入り・・・ただでさえ混んでいる車内なのにさらに新白河から新幹線乗り継ぎの客が乗車し、体感として200%くらいの混雑度を自身で感じた。この季節だけの特殊事情とは言えなかなか辛い。汗をかきながら外を見るとさすがに人家は少なくなっており、まだ青々としている田畑の中をどんどん横切っていく。車内は殺伐としているが外は完全に関東から東北になったようだ。
郡山に到着。僕は隣に停車していた磐越西線の「あいづライナー」と今乗ってきた電車の並びを撮っていたが、その他の客は跨線橋をダッシュ。福島行きに乗り換えていった。まるで「大垣ダッシュ」のような風景だ。
(大垣ダッシュとは東海道線下り「ムーンライトながら」から関西方面に行く通勤電車の乗り継ぎの際に良い席を確保しようとして発生する現象)
僕はハナッから着席は諦めており、先頭車へ行きおもむろにかぶりつきのスペースを確保。その後もドヤドヤと列車に客がなだれ込んできたが、先ほどの郡山行きほどの殺伐さはなかった。
郡山を発車し東北新幹線が右へ分かれると、再び田園風景に。
二本松、松川と鉄道雑誌の写真でよく出てくる駅名を過ぎる。このあたり上下線が駅間で結構離れており、先人の線増工事の大変さを物語っていた。時折思い出したように普通列車や貨物列車とすれ違う感じは、山陽線の広島以西と似ている。さらに古くから存在しているであろう駅は中線跡がまだくっきり残ってたり、やたら長いホームがあったりとかつての「幹線」としての重要度を今に物語っている。
金谷川を過ぎ眼下にポーンと福島の市街地が見えてきた。
福島でもやはり次の列車(白石行き)に乗り換える客がダッシュしていたが、それには参加せず駅弁で昼食とした。「鮭はらこめし」というもので鮭めし+いくらの単純な組み合わせながら、鮭の塩辛さが適度に薄められていて食べやすかった。
38度近くあるホームの端でしゃがみこみボーッとしていると、見るからに新型の電車が4両で到着。そういえばこの電車、郡山発車直後にすれ違ったのを見たな・・・調べたらE721系というやっぱり「新型」の電車だった。
車内はキンキンに冷房が効いてて有難い。クーラーは体の調子を悪くするって言われるけど極端に暑い日はホント手放せない。
13時丁度に福島を発車。ちなみにこの列車は快速で「仙台シティラビット5号」という愛称付き。ラビット=快速っていう意味なんだろうけど時刻表を見たときは「なぜにウサギ?」って何度も首をひねった。未だにその理由がわからない・・・
藤田までは各駅停車。しかしさすが新型電車だけあって駅間の加速は気持ちいいほど高い。それと高速巡航だと電車独特のモーター音が極めて低くクモハ車に乗ってるのにサハ車(非電動車)に乗ってるのと錯覚するくらい静かだった。さっきまで乗っていた701系もJRになってからの電車だが、考えてみればそれから13年も経ってるんだから技術がそれだけ進んだ証拠なのかも知れない。
藤田停車までは覚えていたが、頬杖をついたが最後・・・寝てしまい気がついたら名取に停まっていた。向かいに座っていた顔ぶれも違っておりちょっとした浦島太郎状態だ。ドア上の「次は仙台」という表示を見てもうすぐだな、と思っていたがなかなか着かない。そりゃそうだ。まだ3駅あるもんな。
容赦ない加速で飛ばし南仙台、太子堂の駅が矢のように後方へ飛んで行き一気に高架を駆け上がり長町通過。そういやこの駅も改築されたんだっけ、以前雑誌でそういう記事を読んだ気がする。
引込み線が増え始め、ガタガタとポイントを渡って仙台着。下りてホームを見た感じは信越線の長岡とよく似ている。が、屋根越しに見えるビル群が東北の「都」であることを実感させる。
乗り換え時間は充分あるがコンコースに駆け上がって「杜」という名前のそば屋に入る。ここに入った目的は・・・あの「唐揚げそば」だ。常磐線の我孫子駅のそれは僕らヲタの間ではかなり有名だが、ここ仙台の唐揚げそばは意外と「知る人ぞ知る」的な存在。ざぶとんみたいな(オーバーなww)唐揚げが2個乗ったシンプルなそばで、出汁が我孫子のそれとはまたちょっと違った辛さがあったが、これがコクにつながっているようで箸が進む。結局10分ほどで完食。我孫子の唐揚げそばとの比較は・・・・・う~ん、麺が違うから「似て非なるモノ」ですね。独自の味を構築しているから甲乙はつけ難くどっちも旨いですね。
満腹感に満たされ、次に乗ったのは一ノ関行き。再び701系となった。
これも難なくかぶりつきをゲット。さあ発車・・・と構内を離れた途端、運転席からけたたましい警報が連発された。運転士さんがおもむろにブレーキを「非常」位置にまで回し列車はつんのめるように停車。ブザーで車掌さんとやりとりしながら、
「今、防護受けたよね?~番?ちょっと指令さんに確認するから放送願います!」
と連絡し、今度は無線機をいじってその「指令さん」らしき方となにやらやりとりを続けた。ちなみにこの警報は「列車防護無線」というもので踏切とかで危険が生じ非常ボタンが押されると警報が発せられ走行中の電車についてる無線が感知して停止を乗務員に促すシステム。「防護発報」とも言われ地元のJRでも何回かこれで「抑止」を受けた経験がある。安全を最大限確保するという意味で、至近の列車だけでなくその付近のある程度の距離までこの無線は飛ぶので、関係のない列車まで「抑止」するある意味やっかいな設備でもある。
結局、指令さんとの打ち合わせの結果、この一ノ関行きの列車だけが何らかのカタチで無線を傍受しただけで、他列車ではそういう報告が無いという事で「誤報」という事になり列車を進めてよいという結果になり、再び車掌さんの発車ブザーで動き出した。
車内はちょっと騒がしくなったものの、次第に静かになった。陸前山王では用途がなくなった455系が留置してあるのを見たり新利府ではいつか乗ってみたい利府支線を目で追っかけたり、圧巻だったのは松島付近で仙石線とニアミスの繰り返し。これだったら東北線との乗り換え駅を作ったら?って思うほど接近している。仙台近郊はなかなか趣味的に面白い。
品井沼付近で俄かに山の中を走りぬけ仙台近郊とはお別れし、北東北の入口・小牛田へ。石巻線や陸羽東線からの乗り換え客がホームで鈴なりになっており、黒磯以来の殺人的ラッシュが再現された。
構内は撮影したくなるような気動車群が停まっていたがここでホームに出ては再び列車に乗れるかどうか・・・結局あきらめてそのまま車内に。小牛田からはワンマンになるが、この混雑下では後ろ乗り前降りなんて不可能、と思ってたら、
「本日に限り、ドアを全部開けます・・・」
なかなか臨機応変な対応だ。
瀬峰、梅ヶ沢、新田・・・全然聞いたことのない駅ばかりが続く。ドア越しに車窓を眺めていると家と家の間が随分と間隔があいている事に気付く。田んぼも一つの区画が郡山や福島あたりで見たのと違いやたら大きくなっている。オーバーな表現かもしれないけど北海道に来たような錯覚に陥る。今まで九州や四国あたりしか行ったことがないので、街の作りが全然違う事に驚いた。やっぱり違うトコロには行ってみるものだと実感する。
石越ではこの3月31日に廃止になった「くりでん」ことくりはら田園鉄道のレールがまだ残っており、今にも列車が走ってきそうな感じがする。「鉄子の旅」でも取り上げられたくりでんだっただけに残念・・・
見知らぬ駅が続き一ノ関には定刻の16時22分着。仙台の出だしでアヤがついた列車だったが定刻到着とは流石。
ここでも「一ノ関ダッシュ」なるものが催され今度は参加w。
同じ701系だが帯の色が緑から紫に変わり、違う都市圏の電車に乗ることを実感。この列車では輪行(分解可能な自転車を鉄道で運ぶ)の学生の姿が多く見られこの後の乗り継ぎ列車や、今夜のホテルの場所を地図で辿っているなど打ち合わせに余念がない様子。そういえば輪行の客って関西では滅多に見かけないなぁ・・・
車内には白から赤っぽくなりつつある太陽が差し込み、今日も暮れて行くサマがわかる。思えば今日も一杯電車にのったなぁと「駅鉄」の横見浩彦氏のあの言葉が実感としてカラダにのしかかる。折角の青春18きっぷなんだから乗れるトコまで乗れってのが僕の旅のスタンスの一部であるから横見氏の「鉄子の旅」で言ってたあの言葉は共感を覚える。
小牛田から見てきた顔ぶれがようやくこの一ノ関以北からパラパラと各駅で降り、北上に着く頃には入れ変った。北上を出て間に一駅挟んで花巻着。すでに岩手県に入っており生まれて初めて踏む土地だ。
時刻は17時20分。僕の旅は今日の宿泊地・宮古までまだまだ続く。
が、どうにも混雑は苦手だ。そこで次に乗る快速「はまゆり5号」には指定席がついている事に気付いてみどりの窓口へ。お盆で帰省客が押さえていて満席・・・という不安がよぎったがあっさり席は取れた。
発車ホームへ行くとあちこちにメルヘンチックな案内看板が目に付く。よく見ると「銀河ドリームライン」という副題が釜石線には付いている。はて?と首をかしげたがよく考えたらこの沿線は作家・宮沢賢治にゆかりのあるトコロばかりだ。ちなみにこの花巻駅は「チェールアルコ」という名前が。なんのことかやっぱりわからん・・・^^;
到着した快速「はまゆり5号」は盛岡始発。さて指定席の状況はと・・・ガラガラだった。これはかなりラクできそうだ。冷房がガンガンに効いてるしシートはリクライニングする・・・今までの「苦行」がウソのような世界だ。
17時46分、入線してきた方向に戻りながら発車。東北線と分かれて釜石線の旅が始まった・・・と思ったら最初の通過駅・似内で運転停車。単線の宿命である。
その次の新花巻は停車駅。ホームでは客が鈴なり状態。ドアが開くやどっと車内になだれ込んできた。そうだった・・・新幹線接続で釜石方面に行く客はこの駅を使うじゃないか。ガラガラの大名旅行を楽しめるなんて妄想は見事にかき消された。
街が途切れ次第に山奥へ。時折弱く減速するものの、基本的に力強く加速していく。
土沢を発車したあたりから空の色が茜色のいい感じに。それと同時に瞼も重くなってきてシートを倒しうとうと・・・気がついたら遠野に停まっていた。ここでの降車は多く自由席もやっと一息ついたところか。遠野を出るとすっかり外は暗く「鉄子の旅」で取り上げられていた上有栖の洞窟やら陸中大橋のループを目を凝らして見てみたがだめだった。やっぱ昼間に行くべきだったかな。
ようやく街の灯りで明るくなってきたのが釜石の一つ手前の小佐野という駅から。次は釜石という案内の後に接続列車の案内が続く中で、
「宮古方面にお越しの方は、この列車にそのままご乗車下さい。釜石より各駅停車の宮古行きとなります・・・」
時刻表では釜石着が19時29分。接続する宮古行きが19時35分だから絶妙のタイミングだなとプランを組んでる時に思ったが同一の列車とは気付かなかった。やっぱり旅に出てみないとこういう事は解らないものだなと思った。
釜石に着くと指定席だった車両に係員が来てその表示板を「自由席」に変えた。車両サイドに付いている表示幕もいつのまにか「宮古 For Miyako」となっており盛岡からの快速の面影は無くなった。
快速改め各駅停車の宮古行きになって定刻に発車。ここからは山田線となる。車掌さんの案内で
「途中駅で後ろ1両のドアは開かないところがあります・・・」
の一言にかなりのローカル線を走っていることが予想される。
吉里吉里とか面白い名前の駅があるがどういう風景なのか真っ暗で解らないのが辛い。
ただ陸中山田では花火がドンドンと重低音を響かせており、真っ暗な中に赤い花がパッと浮かぶサマに思わず見とれた。旅に出ていてこういう瞬間に出会えるとなんとなく嬉しいものである。
終点・宮古には21時前に到着。
体力的にはかなり疲れたってのはあるものの、自身にとって初めての東北の鉄道という気分の昂揚が疲労と混ざり合ってカオスな状態、とでも表現しますか。とにかくいい意味で訳のわからない状態のまま駅を出た。
(2007年8月13日)