南国交通 さつま号

【路線データ】

  • 事業者:南国交通
  • 路線名:さつま号
  • 車両型:三菱ふそうエアロエース
  • 路線型:高速路線バス(都市間連絡型)
  • 乗車日:平成24年9月23日
  • 乗車区間:大阪梅田~鹿児島中央駅前

【乗車記】

8月某日。例によってtwitterを流していたらこんなツイートが・・・
「平成24年9月末をもって大阪梅田~鹿児島間の夜行高速路線バス『さつま号』の運行を休止します」
これを見つけた時はかなりショックでした。
一時期大阪~鹿児島間には夜行路線だけで3本もあったのですが、廃止が続いて最近は近鉄バスが運行する「トロピカル号」とこの「さつま号」が健闘していたのでしばらく路線改廃はないだろうな、とタカをくくっていたところにこのアナウンスが流れたものですから。
公式にもはっきり運休情報が出ているのを確認して、10月に組んでた南九州行きの仕事を繰り上げ、早速「さつま号」の乗車券を購入。多分これが「お別れ乗車」になると思ったもので・・・

19時半過ぎに阪急三番街の高速バスターミナルに着いたのでさらっとカウンターを覗くと、やはり「さつま号」の運行休止のビラがぶら下がってました。

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出来ればこのビラは見たくなかったのですが、「ひょっとしたら季節運行で残るのでは」とか淡い期待を持ってビラを見たものの、そういった表記は一切無し・・・現実は厳しいです。
「さつま号」到着までここを発着する撮りバスに勤しんでいたら、後ろから

「炭屋さんじゃないですか?」

と声をかけられ振り向くと鹿児島在住の古いバス趣味仲間のNさんがいたのでびっくり!いや、彼がここに居る理由はまさに僕と同じ訳で、なんら不思議ではないのですが大阪からの乗車組になってる事が意外なような気がして・・・聞くと前々日に鹿児島からの阪急観光バス担当便で大阪入りしてその後四国へ乗りこみ撮りバスをして一泊。で、四国を発って今夜の鹿児島行きで帰るとの事。さすがです。
しばらく撮りバスをしつつ近況報告やらオタ話で盛り上がっていると、19時50分過ぎに青い南国交通のバスが到着。

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今夜の「さつま号」鹿児島行きです。そして車種は三菱のエアロエース・・・新車を充当してきたあたり、もうすぐ運休になる路線にこういう配車をしてくるとは何か暗示めいたものを感じたのは僕とNさんだけかもです。

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車内はまだ新車の香りが・・・運休路線に乗るというブルーな気分が南国交通の計らいで、ちょっとだけハイになったような気がしました。
9名ほどが乗り込んで梅田を出発。ちなみにNさんとは席が離れており僕は7番の中央席。
結構以前から手配したきっぷで前の方の席を期待していたのですが・・・席の割り当てシステムがどうなってるのか、興味が尽きません。
あまり混雑していない新御堂筋を流し、10分かからずに新大阪の阪急バスターミナル着。ここから5人ほどが乗車しました。

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千里ニュータウンでは停車するものの乗車はなく、中央環状線の脇をぐるぐる回って千里中央駅のバスターミナルでさらに2名乗車。けっこうコンスタントに乗客を拾っているので乗車率はいいのではと思ったのですが、傍からはわからないだけで長期的に運営が厳しいところまで利用率は下がっていたのかも知れません。
さっき梅田のカウンターで見た時は発車案内に「満席」の札が貼られていただけに複雑な気持ちです。
中央環状線に戻ったあたりで交代乗務員さんから車内案内があって、こちらが恐縮するほど物静かかつ丁寧なものに驚きました。同じ南国交通でもワンマンの「桜島号」あたりだと必要な事しか伝えない乗務員さんが結構いるのですが(それはそれでビジネスライクなので気に入ってます)、やはり同社を代表する長距離夜行路線とあっては、案内ひとつとっても乗務員さんの気合いの入り方が違うのかも知れませんね。
中国池田インターから中国道に上がりいよいよハイウェイクルージング・・・といきたいところですが阪急バスエリアの一大拠点である宝塚インターを無視することは当然できず料金所をくぐってバス停に到着。乗車はありませんでしたが・・・
かつての「さつま号」停留所であった西宮名塩は存在しないかのように通過。確かにここは利用者にはわかりにくい場所ですからね。
21時過ぎに西宮北インターで2人の乗車を受け、時刻表上では鹿児島空港南まで停まらない・・・はず。
車内案内が終了したあとくらいから始まったビデオ放映もそろそろ佳境といったところでしょうか。ビデオ音声とNHKラジオ、あとは民法FMが流れているだけ・・・かつては落語やイージーリスニング系の曲もあったのですが「さつま号」に限らず夜行路線バスのサービスの幅が年々縮小していってるのが少し残念です。
他の交通機関が値下げ、あるいは速達性を上げてきている中で、サービスの維持と運賃の維持を天秤にかけた場合カットするのは・・・仕方ない事とは言え現実の厳しさにため息が出ます。
持ってきたDVD(僕のような客がいるからビデオサービスもカットされるのかもしれませんが)を見てたり本を読んでたら、22時半に吉備SAに到着。

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「今夜最後のお客様の休憩場所となります。ここを出ましたら明朝は6時頃まで降りられませんのでお買いもの等はこちらでお済ませ下さい・・・」
以前阪急バス便に乗った時は三木SAでの休憩でしたが、岡山県までがんばって来た事に驚きました。
トイレを済ませ、up用の写真にトライしつつ別席のNさんと再びバス談議。
Twitterでも常々フォロワーさんと話し込んでますが、オフ会以外で同じ趣味の人と話す機会というのは稀で、それでいて違和感なく話し込んでしまうのがこれまた不思議・・・

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バスに戻るとカーテンはしっかり閉められており、最前列の遮光カーテンも引かれていました。もうあとは「寝る」だけですね・・・昔の僕ならカーテンの外に顔を出しすれ違う高速路線バスを眺めてたりしてたものですが、アラフォーな今となってはとにかくカラダを休めたいので大人しくリクライニングを倒して寝る態勢に。


* * * *


(回想・推察)
学生時代、初夜行がこの「さつま号」南国交通担当便でした。
阪急バスも南国交通も三菱のエアロクィーンで西工SD-Ⅱという当時標準的な夜行向けの車体を架装した車両でした。
狭い西鹿児島駅前の南国日生バスターミナルを出て天文館で客扱いをしたら10号線経由で途中から吉野台地を駆け上がって薩摩吉田インターから九州道入り・・・えびの~人吉間が未開通だったので加久藤トンネル内で南国交通担当の「桜島号」とスライドする際に、乗務員さんがお互い挙手の礼をしてたのに感動。
休憩は広川SAで、途中目が覚めたら山陽道の玖珂PAでえらくマニアックなところで交代するんだなと深夜に一人感心してたり、翌朝の赤松PAは梅田行き高速路線バスのオンパレードだったりとか・・・
「さつま号」に乗ったのはこの後、社会人になって仕事で阪急バス担当便を梅田から鹿児島に向けて乗った時が2回目。三木SAと溝辺PAが休憩地だったり・・・乗務員さんに聞いたら「空港南の降車客が居なかったら桜島SAまで行くこともある」と聞きそっちの方が面白そうとか思ったり。
そして今回の「お別れ乗車」・・・結局通算(するまでもないですが)3回だけで鹿児島好きを自称していながら鹿児島系統の長距離高速路線バスにはあまり乗ってな
いという状況が今となっては惜しい気がします。
思えばあの頃の鹿児島発の対本州夜行高速路線は大阪梅田行き以外にも大阪あべの橋行き(近鉄・鹿交)堺行き(南海・林田)、さらに京都行き(鹿児島3社と旧京都交通)や尼崎行き(阪神・鹿交)名古屋行き(鹿児島3社と名鉄)の5路線がひしめいていたもので、これをすべてカメラに収めなきゃと血眼になってた僕は天文館や西鹿児島駅前のターミナルに通い詰めたものでした。
それでいて、それぞれの路線は満席とまではいかなくともそれなりに席は埋まっていたように思いこの栄華がいつまでも続くと当時は思ったものですが、なんと24年10月1日からは対本州は近鉄バスが運行する「トロピカル号」1本だけ・・・ここまで凋落するとは当時の僕は思いもよらなかったと思います。
それぞれに鹿児島と対本州の交通機関でエポックはあったと思いますが、個人的に夜行高速路線が厳しくなってきたのはやはり九州新幹線の暫定開業あたりではと思っています。同時に西鹿児島まで足を延ばしていた夜行寝台特急の「なは号」が熊本まで短縮され鹿児島には来なくなったあたりから、夜行そのものが鹿児島の利用者の選択肢から消えつつあったように思います。
「寝ていける」というのは確かに便利ではあるのですが、「早く着けてそれなりに値頃感のある運賃なら払う価値がある」という風に傾き始めたら「寝ていける」は説得力が弱くなります。運賃が安価と言われてた高速路線バスも運営側が油断していると高コストなものになっていく傾向にあるので、最近では「東海道昼特急」のように移動するだけでサービス類は大幅カットと割り切った運賃である程度成功を収めているケースも出てきています。が、大阪~鹿児島間のように20時台に出て8時に目的地という路線ではそれなりのサービス水準は維持しておかなくてはならない訳で、思い切ったコスト削減が難しいケースになっています。
社会情勢の変化、と言ってしまえばそれまでですが一バス事業者だけで改善できる事には限度があるのでは、と感じたのが今回の「さつま号」運休の顛末なのかもしれません。


* * * *


暑さで目を覚ましたのが0時半過ぎ・・・携帯電話のGPS機能で現在地を確認したら広島東インター付近だったので「まだまだ先だな」と思いまた目を瞑り、次に気が付いたら古賀インター付近。あっという間に九州入りしていました。
その後はうつらうつらとしてGPS地図を眺めていると停車する気配があったので確認したら詫間PA。こんな小さなPAで交代するんだな、と驚きました。
「おはようございます。まもなく最後の休憩地、山江パーキングエリアに到着します・・・」
あれからまたうつらうつらとしていて、八代~人吉のトンネル群を堪能せず来てしまいました。

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外に出るとヒンヤリとはしているものの、前夜の吉備SAの時のように寒さは感じずカラッとしていました。
売店を覗くも食事ができそうなものはあまり無く、売店前でNさんと再び談議。しかし「同業者」相手だと話のタネってホントに尽きませんね。結局up用カット数枚だけ撮って出発直前まで談議に集中しました。
加久藤トンネルを抜け宮崎県に入り、雄大な田園地帯と遠くに見える新燃岳や霧島連山を見て南九州に入ったことを実感。えびのJCTを過ぎそろそろ吉松PAかなと思ったら軽くブレーキを踏んだ感触がシートに伝わったので前方を見たら1台の車が横転、事故でした。まだ煙が上がっており「さつま号」がここに着く数分前に発生したものかと。
普通車で走っててこういう事態を見たらパニックになりそうですが、バスの乗務員さんともなるとそういった方面への対処も落ち着いたものでプロの凄さを垣間見たような気がします。
「長らくの御乗車お疲れ様でした。まもなく空港南、鹿児島空港南です・・・」
スーッとバスレーンに入って6時36分、鹿児島空港南に停車。

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ここで6人が下車しました。大抵の人は空港から航空路線を乗り継ぐようでしたが、数人は迎えのクルマに乗っていったので国分・隼人方面の地元客も少なからず居たという事なのでしょうか。

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加治木のだらだら坂を一気に下り、東九州道と合流。カーテンの隙間から茫洋とした桜島の姿が見え僕を含め県外客はしばし首が左側を向きっぱなし・・・
空港リムジンやら福岡行き「桜島号」と頻繁にすれ違い、終点が近いことを感じつつ薩摩吉田インターで高速を降り一般道へ。このあたりから車内のテレビが鹿児島の民放を映しており、クルマの内外ともに鹿児島に染まってきた感じがします。
吉野台地が南国交通のテリトリーですれ違うバスもほとんどが南国交通。「さつま号」はそういった路線バスの中をかき分けるようにして台地を下り日豊本線の線路横に出て、あっという間に山下町の官公庁街へ。

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市電と並行しながら最後の途中停留所・天文館で4人ほどが下車。ドアが開くと喧騒が車内にまで伝わってきます。もう鹿児島の街はフル回転中のようです。

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終点・鹿児島中央駅前の南国日生バスターミナルには7時28分着。
今年4月くらいに建て替えられ随分スタイリッシュなビルに生まれ変わりました。
また装いを一新したバスターミナルは構造こそ旧ターミナルと変わってはいないものの、乗り場には自動ドアが付いてまるで福岡の西鉄天神バスセンターにいるみたいな錯覚に陥りました。
これだけ立派なバスターミナルに発着できるようになったのにあと数日だけしか運行されないというのは、本当に残念な限りです。


* * * *

 

3回目にして「お別れ乗車」になった事についてはバスオタとして不甲斐ない気持ちで一杯で「もっと乗っておけばよかった」という後悔の念が残るばかりです。
しかし一方で僕がバス趣味にはまった「きっかけ」とも言えるこの路線に「お別れ」ではあるものの改めて乗車できたという事に関しては意義があったと思います。
まだ対大阪では「トロピカル号」があるとは言うものの、僕の中での鹿児島発大阪行きの夜行バスはいつまでもこの「さつま号」ですし、「さつま号」がいつまでも僕のバス趣味の「原点」であることも変わりはありません。

(令和元年5月23日記事構成変更)

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